●ドクダミの花
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本日乗船した「はまゆき」は写真正面の護衛艦の後ろに係船されていた。143番はすずなみだったか??はまゆきよりもひとまわり船体が大きいようだ。(ちなみに「はまゆき」は126番である。)
海上自衛隊舞鶴に所属のはつゆき型護衛艦の第5番館として昭和58年11月18日に竣工した船である。 今日は体験航海の日であった。気温36℃、海上も比較的風は少なく、船上にいるとゆでタコになるかと思うほど暑い一日であった。
http://www.kyoto-minpo.net/html/jieitai/maizuru_ships/hamayuki.html
今日は、航海だけで、途中で潜水艦が浮上したり、P-3Cが飛来したりというようなオプションは何もなく、期待してかけつけてくれた神戸の友人たちはがっかりして帰ったようである。
まあ、船首にある76ミリ砲とそのうしろにあるアスロックの発射する様子(もちろん玉の発射はなかったが)を見せていただいたのが、少ないオプションの一つだった。
動きは俊敏であり、かつての日本海軍の戦艦の主砲の回転、上下の砲塔の動きから比較すると驚くほど早い。 二次大戦は戦闘機がプロペラ機であり、現在はジェット戦闘機やミサイルが相手であるから、このくらい俊敏に動かないと、いけないのは当然のことであるのだが。 それにしても、もしこんな砲が二次大戦時にあれば、爆撃機や雷撃機などはとてもそばに近寄れなかっただろうし、簡単に打ち落とされたことだろう。
アスロックランチャーといわれる対潜水艦用のミサイル発射装置である。もちろん今日は中にミサイルは装填されていなかったが、回転スピードと発射の際の動きだけを見ることができた。数十キロ先の海中に落として、そこから潜水艦を追尾して攻撃する兵器である。
今日はめずらしく潜水艦も係船されていたので、一枚写真を撮って帰ってきた。
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ハセガワの1/350戦艦陸奥は、妻が私の誕生日にプレゼントしてくれたものだ。 ディアゴスの大和を製作して、模型製作に数十年ぶりに目覚めてから、4隻目のプラモデル製作となった。
大東亜戦争時、日本を代表する戦艦といえば、この「陸奥」と「長門」であった。今でこそ、日本海軍最大の戦艦、大和、武蔵が有名だが、この2隻は戦時中には国家の最高機密ともなっていたので、一般の国民が知りえる情報はなかったからである。
姉妹艦であった長門は二次大戦を生き残り、ビキニ環礁で原爆実験の対象として海に沈んだ。 しかし、この陸奥は戦わずして 、1943年の6月8日、原因不明の爆発事故を起こし柱島沖で沈没してしまったのである。
陸奥は三番砲塔付近から突然に煙を噴きあげて爆発を起こし、一瞬のうちに船体が2つに折れ、艦前部は爆発後すぐに沈没した。この時、360tもの重量がある三番砲塔が艦橋とほぼ同じ高さまで吹き飛んだという目撃証言もある。艦後部についても爆発後しばらくは艦尾部分を上にして浮いていたが程なくして沈没した。乗員1,474人のうち助かったのは353人で、死者のほとんどは溺死でなく爆発によるショック死だったと言われている。
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